読書『アラフォー世代の憂鬱』(常見陽平)
アラフォー世代の男としては、ついタイトルに負けて読んでしまった。
内容はエッセイ集というか、アラフォー世代とはどういう世代なのかということを複数の論客達がそれぞれの視点から描くというもの。
当たり前なのであるが、住んでいた地域も違えば文化的背景も異なるため、全ての内容に対して同意できるかと言われると、当然ながらそんなことはない。
でも、まあ、不思議なもので、これだけ全国異なる場所で育った人間なのに、ある程度は同意できる内容が揃っているということは、やはりそれだけメディアの影響力が凄かった時代であり、我々の世代は親が言うことやメディアが提供する情報にすがって生きていたということの証左なのかもしれない。
子供の頃は遊んでいた空き地がどんどんなくなり、ファミコンの登場とともに徐々に家出の遊びが増えていった。
中学生のときは40人9クラスの合計360人が一学年にいた。世代人口が多いので高校受験、大学受験の倍率は本当にひどくて、親からはとにかく勉強しないとダメな大人になると脅迫めいたことをたくさん言われた。
バブルの時代にはまだ社会に出ていなくて良い思いなんてほとんどしなかった。強いて言えばアルバイトの給料が今思うと高校生の割には高かったくらいだろうか。
就職活動の時代には「氷河期」が訪れていた。自己PRとか志望動機を履歴書に書き、そのために自己分析なんかをやり始めた最初の世代ではないだろうか。先輩達にノウハウを聞こうにも、そんな就職活動をしていないから参考にできない、となるとノウハウ本を買ったり怪しい自己啓発や就職セミナーに参加する人が多発した。
社会人になったと思ったら、北海道拓殖銀行と山一証券が倒産した。大企業でも倒産することを目の当たりにし、就職して1年以内に倒産を経験する友人もいた。
香山リカ女史が我々の世代を『貧乏クジ世代』と揶揄していたが、個人的にはちょっと納得がいく言葉である。
時代の境目というか端境期というか、人生の節目のタイミングでは世の中のパラダイムシフトが同時に起こるのであるから不思議である。なお、アラフォー世代、業界によるだろうが課長クラスになる人が出ている。しかし、目の上のタンコブ的にバブル世代の先輩達がいて、出世の順番待ちだけならまだしも、年下の上司には従えないと好戦的な輩もいるので、とてもやっかいである。こんなこと経験するの僕らの世代が最初だよな、きっとと思い、日々頭を抱えるのである。
本を読み、自分の人生を振り返ってみると、何もいいことのない世代のように思えてしまう。
でも、アラフォー世代は最後の人口が多い世代。この世代が動けば世の中を変えることができるのだろうか、などと妄想しながら満員電車に揺られて今日も出勤するのである。
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