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本を読みゲームを楽しみ副業アフィリエイトしながらJAL-JGCとANA-SFCで旅する記録

阪神・淡路大震災から20年経って阪神エリア在住者として思うこと

今から20年前の1月17日、阪神淡路大震災は起こった。
その時、僕は大学生で千葉に住んでいて、早朝に今は亡き母親に叩き起こされた。「神戸が大変なことになっている」と。
テレビで見た光景はゲームの世界のように誰かがCGで作ったかのような非現実的なものだった。
当時、父親が大阪で単身赴任をしていたので、その安否を気遣ったのだが、今みたいに携帯電話が普及してなかったので、地上電話に掛けるも輻輳してしまって一向に掛からない。テレビからも追加情報が伝わってこず、不安だけが募った。結果として、父親は無事だったのだが、その確認が取れたのは地震翌日だった。
 
元々大阪で生まれ育ち、ポートピアに行ったり、神戸市内の親戚の墓参りに行ったりで、神戸自体は知らない街ではなかった。
あのオシャレで賑やかだった街が、見たこともない無残な姿になっている。正直、何が起こっているのか現実を把握できなかった。
 
地震の後、社会人になって神戸に出張があった。震災から2年近く経ってたのに、三宮のアーケードは復旧作業中で、北野の異人館も入れずに東京の同僚は残念がっていた。
 
そして、気がつくと阪神エリア出身の妻と出会い、東京にしばらく住んだ後、阪神エリアに住むことになった。
 
妻は阪神淡路大震災被災者で、住んでいたマンションが真っ二つに割れてしまったらしい。その後、自治会主導で建て直しを決めたとのこと。
しかし、周囲のマンションの中には、建て直しの合意が取れず、修繕で乗り切った物件もあるらしい。
 
三宮は好きな街である。時代の流れなのか震災の影響なのか、アーケードの店も味気ないものが増えて、東京の支店が多い気がする。
三宮のあのゴチャゴチャしてるけど、歩いていて楽しい雰囲気は無くなってしまった。
 
震災から年月は経ったけど、復興は終わってない。完全に元に戻すことは難しいだろう。
もう、あの震災当時に生まれた人も成人である。阪神エリアに住む者としては、今後も神戸も応援していきたい。