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『終末のフール』で世界の終わりが来たときのことを考える

伊坂幸太郎終末のフール を久しぶりに再読。

初めて読んだのは、もうかなり前のことだったはず。

でも、なぜか突然再読したくなって本棚から引っ張り出してきたのは、3/11の東日本大震災から2年経った特番を見ていた影響なのかもしれません。

 

ストーリーは、今から数年後に小惑星が地球に衝突することが確実になり、報道発表から一定期間が経過したことである程度落ち着きを取り戻した状況に置かれた人々の感情が描かれた短編集。


地球が確実に終わりを迎えてしまう。その事実に直面して様々な行動を取る人達。ある者は自殺を選び、ある者は自暴自棄になって暴動を店舗や他人を襲い、ある者は新興宗教に惹かれていく。

人はいつか死ぬ定めにあり、ある意味では人は死ぬために生きているということもできる。
例えば、明日、突然交通事故で死ぬ可能性もあるのだけれど、不思議なことに人は自分だけはそのような自己に遭遇せず、少なくとも平均寿命あたりまでは生きていけるだろうと漠然と思っている。そんな中、「寿命はあと数年です。」と言われたとき、自分はどのように向き合うことができるでしょうか。

でも、東日本大震災で亡くなった方々は、そんなことを考える余裕すら与えてもらえなかったかもしれません。

産んでも2年しか生きられないと分かっている状況で産むか悩む夫婦、過去にメディアに追い詰められて自殺した妹の復習に挑む兄弟、ひたすらキックボクシングの練習に挑むチャンピオン、マンションの上に櫓を作り続ける男、妻を殺した暴漢に復讐を果たして自殺を考える男、など様々な環境に置かれた人達が状況には絶望しながらも希望を見出して生きていこうとする姿に励まされるのです。

各短編ともに味があって面白いのですが、今回読み直したら、「鋼鉄のウール」に出てくるキックボクシングチャンピオンの苗場が言っていた台詞がとても印象に残りました。

「明日死ぬとしたら、お前は生き方を変えるのか。」

 

こんなニュアンスだったかと思います。明日死ぬことを望んでいる訳ではないが、常に全力で、もし明日死んだとしても後悔のない今日を過ごす。

 

東日本大震災では、あっという間に失われた命がたくさんありました。その方々は、震災前までは明日が来ることについて疑いを持つことはなかったでしょう。

でも、残念なことに実際に地震は起こり、津波が押し寄せてきてしまいました。

人はいつ死ぬか分からない。明日死ぬと分かっていても、今日やることは変わらない。それは言い換えると、いつ死んでも後悔がないように毎日を過ごすということ。

 

自分の胸に手を当てて、本当にそんな生き方ができているのか考えてみようと思う一冊でした。

 

終末のフール (集英社文庫)

終末のフール (集英社文庫)