【読書】「フォルトゥナの瞳」(百田尚樹)で時間は有限であることを再確認する
死期が近づいている人間が見て分かってしまう。もし、そんな能力を持っていたとしたら自分はどうするだろうか。そして、死に一歩ずつ近づいている人間の運命を変えて助けた場合には、自分の寿命が減ってしまう。見ず知らずの人の命を救うために自分の命を投げ出すことができるのか。そして、起こるはずの未来を変えてしまうので、実際にその人は死なないために、感謝されることもない。
自分がそんな立場になったら、まあ、間違いなく他人は放っておいて、身近な人のみ助けるんだろうなと。ただ、何人までなら助けてもいいのか分からないのが悩んでしまいそうである。
この本の中、主人公以外に同じ能力を持った人間の一言にハッとした。
「やりたいことや夢は誰でも持っているが、本気でそれに向かって進む奴は少ない。なぜかと言えば、自分には時間がたっぷりあると信じているからだ。何の根拠もなく、な。」
そう、明日はきっとくる。今日やらなくても明日やればいい。そんな気持ちで色んなことに取り組んでいる自分がいる。同じようなことを別の小説でも読んだことを思い出した。
「終末のフール」(伊坂幸太郎)では、地球に巨大隕石が激突することが科学的確定で避けようのない事実において、キックボクシングのチャンピオンが変わらずに毎日トレーニングしている。そして一言、
「明日死ぬと分かっていたら生き方を変えるのか。」
つまり、いつ死んでもいいように毎日全力を尽くすべきであると言われた気がした。
そうは思っていても、ぐうたら癖が付いてしまってなかなか前に進めないのが自分でも切ないところ。いきなり全てを変えるのは難しいだろうから、少しずつ変えていこうかと。時間は有限なのである。
人間、いつ死ぬか分からない。だから、いつ死んでも後悔しないような日々を過ごしていこうというのである。
人生は選択の連続である。そして、その一つ一つの選択が自分にも他人にも影響を与える。今の自分があるのは過去の選択の結果、そして今自分がやる選択が未来になる。そう思うと毎日を過ごすのが少し楽しくなる。全ての出会いに感謝を。
なお、本書の主人公の行動原理にはちょっと共感できない部分もあったりするけど、基本的には今まで誰からも必要とされていなかった人間が、初めて他人から必要とされて自分の役割を見出すというもの。
青少年の時期に経験すべきことを大人になって拗らせると大変なことになるよね、という例でもある。また、エピローグで紹介された設定は途中で想像できてしまったのでちょっと残念だった。もう少し違うオチが欲しかったかな。
百田尚樹氏は自己犠牲的な主人公が多いような気がするのだけど、その中では時代劇小説である影法師が好き。やはり、男は誰に分かってもらえなくても自己犠牲を払うって古くさい感性がオッサン受けするのである。