【ラーメン】賢記の海老焼売雲呑麺
横浜は関内にあるワンタン麺の専門店。
普通のラーメンはなくてワンタン麺かワンタンスープしかない割り切り方が素晴らしい。
券売機では、野菜雲呑麺、海老焼売雲呑麺、海老雲呑麺を選べるとのことで人気No1と書いてあった海老焼売雲呑麺をポチ。
食券を渡すと、細麺・太麺、塩味・醤油味から選べるので、細麺・醤油を選択。あと、蒸し鶏ネギご飯が無料サービスとのことでオーダー。ああ、また炭水化物だらけだ…
外見ではワンタン麺に見えないほどワンタンだけで表面が埋まっている。
さて、まずはワンタン。
一口噛むと、中から熱い肉汁が出てきて口の中を占領する。肉だけではない、プリッとした食感は海老だ。
このワンタンはなかなか手強い。
スープはさっぱりした醤油系、麺は極細。ワンタンが強すぎてラーメンが負けてる。が、ワンタンが美味しいからヨシとしよう。
そして、蒸し鶏とネギのご飯。これが美味しい。ご飯が進んでしまう。ビールが飲みたくなる…
お店のスタッフは中国系の方でしたが、日本語もしっかりしてて美味しかった。なんかこういう店は応援したくなる。
夜のおつまみセットもあるみたいだし、太麺の塩スープも気になるし、また夜に立ち寄ったみたい店が増えた。
香港雲呑専門店 賢記
〒231-0012 神奈川県横浜市中区相生町2丁目 横浜市中区相生町2丁目33
045-633-2007
https://goo.gl/maps/bgdnHRSRfwG2
読書「たゆたえども沈まず」原田マハ
フィンセント・ファン・ゴッホ、といえば知らない人はいないだろう画家。
美術に疎いわたしでも聞いたことがあるビッグネームである。
小学校の教科書に出てくるくらいだし、ゴッホのひまわりといえば、コナンの映画にも出てくるし、そもそも日本の芦屋市に存在して戦争で消失してしまったことでも有名である。なお、その芦屋の大富豪が住んでいたという場所には、石垣が残っている。
本作でも出てくるゴッホ作品「星月夜」は宮本輝の「田園発港行き自転車」にも出てきたな、とぼーっと思い出した。
それくらいゴッホ作品はメジャーなのである。
そして、写真で見る絵と実物を見たときのギャップがこれほど大きい画家は他にいないだろう。
ルノワールやモネなどの印象派の絵は、「おお、写真のとおりだ」と感動するのだが、ゴッホの絵は写真よりも実物のほうが圧倒される。なんかこっちに近寄ってくる感じがするのである。
ゴッホの弟テオの妻が「生きている」というような表現をしたが、まさにそれに近い感覚なのかもしれない。
ゴッホを取り囲む人の物語
といっても、視点はゴッホ本人ではなく、ゴッホの弟であったり、ゴッホに浮世絵の影響を与えたと言われている林忠正の部下からの視点だったりする。
なので、実際にゴッホが何を考え、何に苦しみ、何に光明を見出して作品を作ったのか本人視点から語られているのではない。
しかし、第三者視点からでもゴッホの悩みと苦しみが伝わってくるのである。
繊細で、自意識過剰で、寂しがりやで、自堕落で、だけど絵を描くことが大好きで。
ゴッホが耳を切り落としたり、自殺した理由は結局謎のまま残ってしまっているけれど、あの時代は本当に閉鎖的で「印象派」と呼ばれたのは「絵を印象だけで書いているから」という上から目線で見下された表現だったのだ。
ゴッホはその印象派よりもさらに新しい技法を生み出した表現者であり、結局、彼の死後に評価が上がったのだから、新しいものを認めない時代だったんだな、と改めて思う。
そして林忠正の物語でもある
そして、本作はゴッホの死まで触れられているが、ゴッホに多大な影響を与えた林忠正の物語でもある。
フランスで日本美術、とりわけ浮世絵を広めた。もちろんビジネスではあるのだが、単にそれだけでなく、日本人として誇り高く、バカにされようが何を言われようが歯を食いしばってその地位を築いた人である。
そして、その浮世絵をゴッホの弟でありライバル画廊勤務のテオに売り、結果的にゴッホの絵に大きな影響を与えた。
ひょっとしたらこの人がいなければ、浮世絵も保護されることなく茶碗を包む紙として捨てられ、ゴッホの特長的な絵も誕生しなかったかもしれないのだ。
そう考えると人生とは面白いもので、そのときに分からないことでも、後世になって評価されるなんてことがあるのだ。
沈まない人生の過ごし方
でも、できれば生きているうちに評価されたいものである。
ゴッホは37歳でその生命を自ら絶ってしまった。
もし、もっと早く彼の絵が評価されていれば、もっと長生きして、もっと多くの絵を残せたかもしれない。
でも、一方で早逝して存命中に評価されない人生だったからこそ、苦しみやもがきが絵に現れ、かつ、枚数が少ないから価値が上がっているのかもしれない。
ゴッホ、なんとも不思議な画家である。
「たゆたえども沈まず」ゆらゆらと漂っていても決して沈まない。セーヌ川でのゴッホの決意は実らなかった。
パリの真ん中を流れるセーヌ川。そのほとりにはルーブル美術館があり、川沿いを走る人たちが大勢いた。ゴッホや林忠正が眺めたセーヌ川と同じ川をフランスで眺めたのだと思うと、感慨深いものがある。
楽しいことばかりではない人生だけど、嵐が過ぎるのをじっとまって、漂いながらも決して沈まない人生を歩んでいきたいものである。
【ラーメン】鶏ふじ 濃厚鶏白湯ラーメン(横浜 関内)
横浜関内で前泊してのお仕事。
リッチモンドホテル横浜馬車道まではJR関内駅から徒歩5分だけれど、お腹が空いたので食べてからホテルにチェックインすることに。
雨が降っていて一度チェックインしてから再度でかけるのが億劫に感じたのが、その最大の理由かもしれない。もう雨が降ってると面倒なのよね、スーツで出かけるのが。
ラーメン鶏ふじの外観
さて、そのリッチモンドホテル横浜馬車道の目の前にラーメン屋が。道路を挟んで向かい側、徒歩1分。
鶏白湯ラーメンがメインのラーメン屋さんの名前は「鶏ふじ」。看板には超濃厚の文字が。こってり系が好きな人間としてはそそられる文字である。
以前はもう少し関内駅近くにあったお店が引っ越した模様で、雨の影響か夜8時頃なのに客足はまばら。
店に入ると左手に券売機。
券売機では基本の左上。というか、そもそも鶏白湯ラーメンしかないのでトッピングを選ぶだけですが。
味の濃さなどを選べるのですが、やはりまずはノーマルの普通を注文。
カウンターで待つこと5分ほど。濃厚な雰囲気の鶏白湯麺が到着です。
超濃厚鶏白湯ラーメン
おお、鶏白湯なのに少し濁ったスープの色は濃厚さをアピールしている。
その予想を裏切らない一口目。鶏の香りがしながらも、しっかりとコクがあり喉を過ぎてもしっかり味が残る。
そこに、トッピングされた岩海苔の味が染み出すと、動物系のスープに植物系の柔らかさが加味されると、スープに複雑さが増して深みが出てくる。
トッピングのチャーシューは赤身中心だけどしっかり時間を掛けて煮込んだことが分かる柔らかさ。メンマはびよーんと長く伸びているけれど、しっかり味が染み込んでいて柔らかくなっているので、歯ごたえはありながらも途中で噛み切れて、ちょうどいい感じ。
丁寧に出汁をとり、具体を一品ずつ仕込み、バランスよく仕上げられたラーメンは美味しかった。
で、どうやらラーメンの後に「雑炊セット」として白米をスープに投入するのがオススメのようだったが今回は辞退。さすがに炭水化物まみれだろう、と思いつつ、次回は挑戦してみようかと思わせる雰囲気でした。
ラーメン鶏ふじの場所
【ラーメン】麺匠濱星の濃厚煮干しラーメン(横浜関内)
横浜関内での仕事帰りに立ち寄り。
麺匠濱星の場所
駅としてはJR関内より、みなとみらい線馬車道の方が近い感じだけど、関内からも十分に歩ける距離。繁華街の中にあるので、ややもすると見落としがちで、通りから見える赤い提灯が目印に。
注文は濃厚煮干しラーメン
店内に入ると右手に券売機。なにやら期間限定もあるみたいだけど、初めての店では券売機の左上、の法則に従って濃厚煮干しラーメンを注文。煮卵やチャーシュー乗せなどトッピングも選べる。
そして気が付いてしまったビールと唐揚げセット480円。なんとお得なのか!期間限定とのことだが、これは迷わず購入。
ランニングした後だから大丈夫、と自分に言い聞かせながら。
濃厚スープに細麺が絡む
まずはビールと唐揚げ到着。アツアツの唐揚げ(写真撮り忘れた)を頬張りながらビールで流し込む。いやー、やはり家で缶ビールを飲むより店で生ビールと唐揚げを食べる方が当たり前だけど美味しい。
しばし経つとラーメン到着。
丼から匂い立つ煮干しの香り。これは間違いなく濃い。それもかなり。
スープをレンゲですくうと、ドロっと垂れていくところも、また濃いことを予感させるに十分な要素である。
さて一口。うわ。これは濃い。
もうドロドロになるまで煮込んだスープに細麺がじっとり絡みつく。スープが染み込んだ麺は、油断すると油がはね飛びそうなので注意してゆっくりすする。
口の中に広がる煮干し臭。これぞ濃厚煮干しスープ。いやー、ひさひざにここまで濃い煮干し系を飲んだ気がする。
このスープにチャーシューや卵もしっかり浸して食べる。そしてビールで流し込む。
うむ。美味しい。運動して疲れた体に染み込んで行くのが実感できる。やはり、やや塩っ気のあるものを肉体が求めていたのである。
ごちそうさまでした。
【駅弁】崎陽軒の炒飯弁当(新横浜駅)
新横浜駅の定番駅弁
新横浜駅から新幹線に乗って帰る時の定番は崎陽軒のシウマイ弁当である。やはり弁当の王様というか、他の選択肢はあり得ないよね、みたいな謎のプレッシャーが。
今日は乗り換えに時間があったので、一度在来線の改札を出て、新たな弁当を探しに…出たはずだったのだが、結局、改札外の崎陽軒のお店で弁当を購入。改札を出た意味がなかった...
シウマイ弁当と炒飯弁当の違い
だが、今回はいつもと違って炒飯弁当である!
シウマイ弁当より30円高い860円だが、白ごはんが炒飯に変わるのだから、こっちの方がお得かも…みたいに思ったのである。
にしても、駅改札内の売店で炒飯弁当って売ってただろうか。いつもノータイムでシウマイ弁当を選ぶので気付かなかっただけかもしれない。
新幹線に乗り込んで、いざ開封!もちろん、お供はビールである。
具材はシウマイ3個、唐揚げ2個、タケノコ、錦糸卵、スパゲティ、紅生姜、そして炒飯!
シウマイ弁当よりもオカズの種類がやや少ないが、その分、炒飯に注がれていると信じたい。
いざ実食
グリーンピースがやけに多い気がするが、ベタつくことないパラパラした炒飯なのに味が染み込んでいて、弁当ならではの味付け。
さらに肉の塊もゴロゴロ入っていて満足感高め。そこにオカズのシウマイや唐揚げをセットにすると、うん、小さな中華料理店に行った気分になれる。
シウマイ弁当は白ごはんが多いので、どうしても和の弁当テイストが強いのだけど、炒飯弁当は中華弁当テイストが強い。
白ごはんが炒飯に変わっただけで、ここまで雰囲気が変わるものなのかと驚いた。
まとめ
和のテイストで行きたい気分の時はシウマイ弁当、中華気分の時は炒飯弁当と使い分けて行くと良さそうである。
いやはや、恐るべし崎陽軒。
もちろん、お土産に「特製シウマイ」も買って帰ったので、家でビールのつまみにしようと思うのでした。
【読書】なぜ一流のリーダーは東京−大阪間を飛行機で移動するのか(能町光香)
「なぜ一流のリーダーは東京―大阪間を飛行機で移動するのか」を読みました。
「なぜ◯◯は、〜するのか」
という題名にするのは最近の流行りなのでしょうか。
こういうタイトルにすれば売れる!というフォーマットでもあるのでしょうか。
数多くある書籍の中から選んでもらうために、こういうタイトルを付けているのだろうけど、もう食傷気味ですね。
書き手は一流リーダーの秘書
本書は外資系製薬企業などで役員やリーダを勤める人の秘書を長年続けてきた人が、一流リーダーの行動や所作を見て得た知見を書いているもの。
一流リーダーと呼ばれる人の行動原理、気遣い、立ち居振舞いなど、確かに近くで見て話を聞いた人ならではの話がたくさん。
飛行機を使う理由はアイデア
肝心の飛行機移動については、
「飛行機の上という非日常空間に身を置くことで様々なアイデアが思い浮かぶから」
とのこと。
普段から飛行機移動しているけど、新しいビジネスアイデアが思い浮かばない私。
私自身は一流でのなんでもない会社員だから当たり前ですが。
マイルとかJGCとかSFCとかそういう庶民的な話はまったく出ませんでした…
一流のリーダーから学べること
一通り読んだけど、特に普段の生活や仕事に役立ちそうな話はなかった。
なぜなら、一流のリーダーが実際に思考して行動した内容を書いているのではなく、あくまで秘書とはいえ他人が書いたことだから。
ゆえに、何一つ響いてこない。そもそも自分自身が何かを決断して実行している訳じゃないのだから。
そして、著者紹介欄には「伝説の秘書」とある。
自称なのか出版社が付けたのか分からないが、世界が違いすぎて聞いたことないし、自称されてもな…
何社も渡り歩いたみたいだけど、優秀すぎてヘッドハンティングにあったのか、単に本人が飽きっぽくて転職したかは不明。
ただ、友人に外資系金融機関や日系商社の秘書がいるけれど、彼女たちは同じ会社にいて辞めていない。
タイトルだけで図書館で借りた自分が悪いのだけど、久しぶりに得るものがない新書を読んだ。
いや、この手の「◯◯はなぜ〜なのか」シリーズや外部から見たエリートみたいな自分ではないことを書いた本を選ぶことを止めよう、と決意させてくれた、という意味では価値のある本でした。
なぜ一流のリーダーは東京―大阪間を飛行機で移動するのか (扶桑社BOOKS新書)
- 作者: 能町光香
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2016/12/09
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
「なぜなぜ」シリーズとして一番面白かったのは、やはりこれ。
さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)
- 作者: 山田真哉
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2005/02/16
- メディア: 新書
- 購入: 10人 クリック: 331回
- この商品を含むブログ (1044件) を見る
【読書】夜行(森見登美彦)
10年前、鞍馬の火祭を見学に行った帰り、突如として消えて行方不明となった女性。
そのときに一緒に出かけた友人が集まり、久しぶりに鞍馬の火祭に出かけようとするが、宿でこの10年間にあった話をしだすと、誰しもが不思議な体験をしていて、そのすべてが「夜行」という一連の絵に繋がっている。
果たして、10年前に彼女はどこに行ったのか。再び会うことはできるのか。そして一連の連作である「夜行」という絵はなんなのか。
この10年間に体験してきた話は、とても現実の世界とは思えないできごとばかりである。そのすべてに「夜行」という不気味な絵が関係している。
そう、まるで絵の中に誘い込むような顔のない女が立っているのである。
森見登美彦が放つ京都のほんわかワールドとは異なる不思議な展開。まるで絵の中から出てきたような女が現実世界に存在してくる。
これは現実なのか夢なのか。はたまた幻想なのか。
最終章、ついに意を決した仲間たちとともに鞍馬の火祭に向かうが、すでに祭りは終わった後。まさに後の祭り。
その帰りに主人公が体験する世界は、今までとまったく異なる世界であった。
実は「消えたのは彼女ではなく僕だった」
というオチ。それでも現実世界に戻ってきて、消えたと思っていた彼女にも会うことができた。
しかし、表の世界には「夜行」などという絵はなく、その作者は存命で「暁光」という一連の絵を描いている。そう、「夜行」の薄気味悪さとは正反対の明るさと生命がみなぎっている絵である。
ああ、なぜか次元の狭間に落ちてしまったけど、なぜか無事に戻って来れてハッピーエンドになるんだな、と思いきや、そのままでは終わらせないのが森見登美彦。
えー、それ、まったく救いがないよな...
という流れになるのだが、ふと自分が生きているこの世界も、実は表ではなく裏側の世界だったりするのかもしれない。
でも、そこにいる本人は、表とか裏とか意識することはない。
そう考えると、世界は自分が信じているのが正しいと思い込むことで成立しているのかな、などと思うのである。