【読書】線は、僕を引く(砥上裕)
なんだか不思議なタイトルが目を引いた。主語が「僕」ではなく「線」で、引かれるのが「僕」だからである。線が僕を引く、というのは一体どういうことなのだろうか。
主人公は法学部に通う大学生。「美術展の飾りつけ」と軽い気持ちで引く受けたアルバイトの現場は水墨画の展示会設営。とても飾りつけなどという簡単なものではなく、大型の荷物を運ぶ肉体労働が終わり、休憩していたところに水墨画の大家ともいうべき老人に出会う。
老人は青年の中に何かを見出し、水墨画の弟子にすることを決める。同じく老人の弟子であり血を引く孫娘とひょんなことから一年後の水墨画大会で対決することになる。
ふむ。序盤のストーリーを改めてなぞってみると、どう見てもラノベ的展開です。
水墨画は不思議な絵だ。墨だけで描かれているはずなのに、緻密に書き込まれている部分もあれば、大胆に面が塗られているものもある。そして、何より驚嘆すべきなのはその奥行を含めた立体的な表現。
どうして、線と濃淡だけでここまで表現できるものなのか、写真だけでなく実物を目の前にすると、その恐ろしいまでの技巧に驚嘆する。もちろん、美術館や博物館で見る歴史的な名作品(雲竜図など)は最高峰かもしれないが、それにしても絵の前に立って眺めていると吸い込まれそうな感覚になるものです。
しかも、この水墨画、どうやら人によって描かれる線が異なるというのです。
それは、技術的なものではなく、本人の性格や心情をダイレクトに表すのだとか。同じ題材で水墨画を描いたとしても、完成したものは、人によって個性が異なる。シンプルだからこそ、その差が出やすいものなのでしょう。
さて、物語は序盤の段階でラノベ的展開だったので、そのまま最後までその期待は裏切られることなく進んで行ったので、その辺りは安心して読み進められます。
物語の最後はもちろん一年後の展覧会。
たった一年で水墨画の最高級の賞を取ることなんてできるのか。普通に考えれば無理だと主人公も自覚しながら「自分の器」を埋めるようにのめり込んでいきます。そう、高校生の時に不慮の交通事故で亡くなった両親の欠片を拾い集めるように。
何かに集中しているときは、悲しい気持ちや記憶を薄めることができる。
それがたまたま水墨画であった。いや、水墨画が主人公を救う運命にあることを、老人が一目見たときに気付き、拾い上げてくれたのです。
そして、よき人に囲まれ、物事に誠実に取り組み、時には辛いことを周囲に助けを求めていくことで、少しずつ、自分をふたたび形作ることができるようになっていく。
自分が水墨画を、線を描くのではない。
水墨画を描くことで、その線一本一本が自分という器を再定義し、形あるものにしていってくれた。
自分は何者でもないかもしれない。自分ではない誰かを真似して何者かになる必要はない。個性によって一人一人が異なる、自分だけの線を描くことが大切なのだ。そんなことを教えてもらった気がします。