【読書】ツナグ 想い人の心得(辻村深月)
一度だけ一人だけ死んだ人と会うことができる。ただし、あの世にいる死んだ人にも会うかどうか選ぶ権利がある。使者(ツナグ)の噂を知り、その電話番号に掛けて、使者と繋がった人にのみ、その権利が与えられる。死んだ人に会うことができる、そんな話を聞いたら新興宗教か怪しい似非科学かと勘繰るのが普通であろう。
でも、それでも会いたい人がいる、その噂を信じて一縷の望みを掛けた人だけが手に入れられる偶然であり幸運なのだ。そんな、死者への使者に会えた5人の短編物語。
幼少期に離別した父、郷土史研究で憧れていた地元の偉人、事故で亡くなった幼い娘、ドイツ留学中に癌が発覚した娘、修行していた料亭の娘。
死んだ人に会いたい理由はさまざま。死んだ人が決して蘇ることはない。そして、会える時間も夜から翌朝までの約12時間。それは毎月満月の日にのみ許された縁。
会いたい人に会って何を話すのか、何を聞きたいのか。伝えられなかった言葉、聞いておきたかった言葉。確かめたかった事実。仮にそれを手に入れたところで過去は何も変わらない。でも、止まっていた時間が少しだけ前に進むのかもしれない。
そう、死者と話し終わった人たちは、少なからず満足気な顔をして、その短い時間の縁を大切にして帰路に就くのである。そう、それは自己満足かもしれないし、実際には死者は現れておらず、自分が夢を見ていただけなのかもしれない。でも、それでも前に進めるようになるのなら、騙されていてもよさそうだ。
5話の短編の中で、一番心に残ったのは最終章。
決して自らが恋仲になったり結婚したりすることはなかった修行先料亭の娘。白血病で若くして亡くなった、その人に会い、思いを告げるわけでもなく、会った理由は「彼女にもう一度桜を見せてあげたかった」から。
ああ、そうだ。桜は一年に一度、春にしか見ることはできないのだ。16歳で亡くなった彼女は16回しか見れなかったのだ
若くして死んだ彼女が好きだった桜を現生でもう一度だけ見せてあげたい。そして喜んだ顔を見たい。もうまさに純情そのものである。自分がやりたいことは、彼女が喜ぶことをすること。素敵な発想である。
本書を読みながら、自分なら誰に会いたいだろうか、と考えてみたが、いずれも他人を喜ばせることよりも自分が確認したい、話したい、ということばかり思い浮かんでいた。そう、死んでしまったあの人を喜ばせてあげよう、そんな思いにはまったく至らなかったのだ。ああ、自分の小ささたるや、なんてことでしょう。
そしてもう一つ。自分がいつか死んだとき、死者の世界で待っているときに「会いたいと言っている人がいるのですが」と使者が声をかけてくれるような生き方をしていければいいな、と思うのであった。
桜、自分はあと何回見れるだろうか。見れるときにちゃんと見ておこう。
なお、どうやらこの本はシリーズ化された続編で、前作は映像化もされているらしい。
図書館の辻村深月の新作を予約しただけだったので、そこまでの情報を得ていなかった。ということで、前作も読んでみようと思う。